一応、書いておかないといけませんか。
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
(これで年賀状の代わり。)
現在実家なのですが、
年末年始をまるっと実家で過ごしたのは
実はここ数年なかったかも。
こちら(鳥取)は大晦日から正月三が日
ずっと雪(または雨あられ)です。
こんなに降ってたもんだったか。
家は相変わらずの日常が流れているよう。
おせち作って餅つくって、
玄関にみかんのついたアレ飾って、
神棚に紙のヒラヒラをつけて、
車にもワラのアレをぶら下げて、
そういう風習はずっと変わらない。
それらに何の意味があるのかは
もう特に考えもしなくなっていて、
そういうもんだってことで話が済んでるんですな。
正月に限らず、何かの節目のイベントでは
必ず何か宗教的な儀式が入ってくるんだけど、
それって、心の区切りをつけたいからなんですよね。
それをやっておけば日常でいられる、
そういう安心感を得られるというか。
もともとは何か意味があったことなのかもしれないけど、
それが日常化することで本来の意味は忘れられ、
その行為そのものが意味を持ってくる、ということが
世の中には結構ある気がしますね。
年明けにぼーっとそんなことを思いつつ、
こたつで寝正月であります。
コメント
あけましておめでとうございました。
節目のイベントは形だけのモノも増えてきましたよね。
でも、できれば正しい意味を知っておきたいものです。
縁起でもない話ですが、例えば身近な誰かが亡くなったとき葬式をあげますよね。それをどの宗教であげるのか、ということで揉めるということもあるようです。その故人がどの宗教を信仰していたのか?というのが争点なんですが、最近では無宗教な人が多いですからね。
ちなみに、最近では喪服といえば黒で定着してますが、喪服が黒いのはもともとキリスト教での風習で、昔は日本での喪服は白だったそうです。
実際、それが一般化してしまえば、宗教なんて関係なくなってしまうんですよね。
今年もよろしくお願いいたします。m(__)m
日本は取り入れるのがうまいですからネェ
鯨幕も元々白だったのが、西洋文化で白黒になったらしいですねぇ
混ぜこぜにして使いやすくする(というか、都合の良いものにする?)のが日本人は得意かもですね。海外由来のものでも、日本にあるそれは本家のものとは大分違っていて、日本人に誂えられたものになってることが多いですからね。(食べ物とか特に)
本家が一番良いか、アレンジされたものが良いか、そのへんは価値観次第ですね。