メリークリスマス。
日付かわってるよ?
あーわかってるよ。ええわかってます。
いや、ボクはアメリカの人たちにいったんですよ。
アメリカではまだクリスマス。
どうも最近、いや最近に限らないんだけど、
自分が常に人より賢いんだぜっていう人ばっかりで、
実は自分がバカだという想定が全くないあり得ない仕様が多くて、
そんな人たちばっかりだから
世の中には負の感情しか鬱屈しないんだと思うのですよ。
何か話せば自分は賢いんだぜっていう人がしゃしゃり出てきて、
それは確かにもっともだが、しかしね、そんな考え方はだめなんだ、
もっとこうあーだこーだ…とかなんとか
したり顔で説教を始めたがる人がいるわけです。
まぁ実際に説教する人もいれば、心の中でバカめと思う人もいる。
実際はそっちの方が多いんでしょうけど、
いずれにしろ、自分の考えの方が上である、という立場は変わらず。
要は、相手の話もちゃんと聞けってことです。
最初から聞く耳持たずとはこのことで、
自分の考えの方が上策であると見込んでいるうちは、
相手の話なんか右から左なわけですよね。
まぁ聞け。まぁ座れ。もちつけ。
世の中がもし何らかの法則で動いているとするなら、
そこに発動している現象というのは、
再現性を要とする法則というものから、
かなりかけ離れてるよなぁ、
なんて思うのは私だけではないはずだ。
本当に科学の肝である規則性なんてものが重要なのか?
とさえ思えてくる。
でも、その表象の断片を見る限りは、
確かにある規則性や法則がそこにあるのであり、
それが科学文明の社会をここまで発展させた礎でもある。
それは厳然としてそこにある事実。
ここに妙があるね。
部分的には法則性があるのに、全体としてカオスなのは何故。
科学の“科”というのは科目の科であり、
つまり分野別に敷居をつくって、
それごとに物事を分析していけば確からしいことが導ける、
そういう学問なんですわね。
そういうやり方が今の成功を生んでいる、ともいえる。
しかし、ずっとそういうやりかたでは、
もう今後進歩はないだろうなぁ、
と思ってそこを壊してくれる人は現れないかと思ってるのだけど、
なかなかそういうパワーのある人もいなさげ。
じゃあオレサマが?
いや、ボクはバカですから。
馬鹿。馬と鹿に失礼だ。
実は馬や鹿の方が全てマルっとお見通しなのかもしれないよね。
いや、もう年末とは信じられん。
さっき2007年始まったと思ったのに…。
それは言い過ぎだが。
以上、今日電車に揺られながら思ったことメモ。