感覚

内心で来年契約どうすっかなーと考えてたら、
来年はこの件をお願いしますネ、なんて釘を刺されてしまった。
見透かされた?
まぁ食いっ逸れなかっただけ良かったのかな。
今の職場からは3つの駅に歩くことができる。
品川が標準ではあるけど、大崎と五反田も徒歩10~15分圏内。
で、最近帰りは渋谷始発の東横線で座れるのを狙って
五反田経由を利用してるんだけど、あそこは毎日週末です。
みんな酔っ払ってんの。
どうも毎日酒臭い。
自分が飲んでないのに周囲があんなにご機嫌なのは、
微妙に不愉快感を覚えるわけだけど、
それでも座って帰りたいから五反田駅を使うわけです。
それにしてもこの匂いというのは不思議である。
匂いというか、匂いを感じることというか。
要は嗅覚。
なぜ人は匂いを感じるんでしょうね。
それが何か役に立つのか。
いや、役に立つ立たない以前に、
こういうことを考え始めると、
日常の感覚がどんどんゲシュタルト崩壊を起こしはじめて、
そういう感覚の存在そのものが奇妙に思えてくる。
それをいったら五感全部不思議だよね。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
意識とか精神とかの話の中で、
よくその意識なり思考と感覚とが鶏と卵の関係になってきて、
つまり、どちらが先なのよ?
という方向へ迷い込んでいくことがある。
感覚があるから意識が生まれるのか、
意識が感覚の主体であるのか。
実感というものが入力されるのは、
やはり感覚由来になるわけだけど、
感覚というのは意識がそれを受容しているわけで、
結局その感覚を立ち上げているのは意識ということになる。
意識が勝手に感覚をつくり出しているだけなのかもしれない。
今目の前に、赤い顔をした酒臭いオヤジがいる。
それを視覚と嗅覚で感じて、
その顔が赤いこと、酒臭いことを認識していると思っているけど、
実はそんなオヤジはどこにもいなくて、
脳ミソの中で勝手にそういう幻の像が立ち上がっているだけなのかも、
というマトリックスのような世界も考え得るわけで。
というか、五感が世界の存在全てであるという確証も何らない。
人間の五感で感じられるものが全部だと思うのは驕りであって、
世の中はそれだけでは感じられないものもありましょう。
そういう人間と相互作用しないところで、
宇宙の万物は回っていると考える方が、
むしろ自然というか、あるべきというか、
俗な言い方をするなら、幸せ、なのかもね。
時計の文字盤を見て知ることができれば良いのは時刻であって、
その時計がどういう仕掛けで動いているかなんて、
実際的には知る必要ないですから。
せいぜい五感に甘んじていれば良いのです。
来年はC#な予感。

コメント

  1. げん より:

    匂い感じる理由ってのは死をさけるためではないのかな。
    腐ったもの食べるとやばいとか死臭がただようとこには近づくなとか。
    全ての欲望は種や個の保存のためにあるんだと最近とてもおもうようになった。
    うまいもの食いたい欲求がないと食べるの面倒くさいから死にやすいし、性欲なかったらわざわざセックスなんてしないから子孫が残らないし。
    でもそもそも種も個も存在する意味は?と聞かれるとよくわからない。
    人間全員死んでもだれも困らないしね。

  2. 月影 より:

    生きるために必要だからそういう感覚が備わった、と考えるのが自然なんでしょうけど、その観点だと、生きるために必要のない感覚は備わっていない、ということになるんですよね。これもまたどっちが先なんだ?という議論になるわけだけど。
    感覚と同様に、人間には三大欲(食欲、性欲、睡眠欲)というのがありますが、それのどれが欠けても生きていけない。この欲というのが生きるために必要だからあるのだとすれば、人間は生きるのに必要のない欲(三大欲以外の欲)もたくさん持っている気がする。それがなぜあるのか?などと考え出すと、また考えが迷走し始めます。

タイトルとURLをコピーしました