大学で銃乱射。(US)
母親を殺した上に首、腕を切断。(国内)
友人の小指を切断してカレーにぶち込む。(国内)
最近のニュースを見聞きしててちょっと思うのは、
みんな子供のまんまなんだなぁ、ということ。
子供というか、
モラルや社会性というものを理解する以前の状態、
相手の心情を察する努力をしない、
湧き出てくる不満や欲求を制御できない、
自分自身が世界の主人公の王子様というか。
思い返せば40年前の私も……
って、私生まれてません。
思い返せば25年くらい前の私も、
多分あんな状態だったんじゃないかと。
かなり虫とか生き物を殺した記憶があるんですよね。
アリを見つければ踏みつけてたし。
バッタやカマキリを壁に投げたりしてたし。
トンボやセミなんかなんぼほど無駄に捕まえたことか。
やさしく飼っているなんて気になって、
カブトムシやクワガタなんかも虫かごに入れたまま、
世話が面倒になると放置で殺してたし…。
他にも、カエルやらトカゲやら
果てはニワトリやらネコやらにした仕打ちの数々。。。
あの当時の残虐非道っぷりといったら、
もし地獄があれば確実に私は地獄へ行くなぁ…
と思うくらいやりたい放題でした。
ただ、どういういきさつか覚えてもないけど、
だんだん殺生はイカンことだということを理解しはじめ、
相手の立場になるということも学習して、
とりあえず一定の常識は得て今に至る、ということか。
それで、どっかの学者っぽい人がしたり顔で
「ゲームと現実の世界の区別が付かなくなっている」
とかなんとかいってたんですが、問題はゲームではなくて、
ゲームしかしないようになる経緯にあるのよ。これ。
いつかのネプ理科で、
隔離コオロギの話が出てたのを思い出した。
これですね。
(ネプ理科 06/12/06 – youtube.com)
集団の中で飼育したコオロギと、
1匹だけ隔離して飼育したコオロギとでは、
隔離コオロギの方の気性が荒くなると。
これ、気性が荒くなる、というよりは、
相手も自分と同じ生物である、
という認識が欠落しているか薄いんだろうと思うんですね。
つまり、自分以外のものはみんな等しくモノであると。
自分だけが世界の中心であるはずであり、
それ以外のものが自分の欲望を阻害することは許されない。
…と、そこまでではないにしろ、
集団生活を送ってきた者とそうでない者とでは、
確実にその認識や理解に差が生まれるはずなんですな。
コオロギは(人間よりは)単純な生き物なので、
あからさまにその差が出てるんじゃないか。
普通の人なら、大体集団生活の中で大人になるので、
そのあたりの分別も自然についてくるのだけど、
あまり集団と関わらなかった人、
ほとんど他人と付き合わないで大人になった人というのは、
ずっと5、6歳児かそこらの精神状態のままなんじゃないか。
自分の欲求が晴れるなら、人を殺すのも問題なし。
それをして何が悪いのか。
(6歳児が虫けらを殺すのと同じ思考回路。)
最近はヘタすると
電車の中で人の足踏んだだけで殺されるからなぁ…。
社会というのは、
基本的にお互いに迷惑をかけ合う場なんだということを
まず理解しないといかんですよ。
とりあえず私は、毎日電車には乗らないといけないけど、
まだもうちょっと生きていたいので。