いろいろな哲学問題を考えていると、
「この問題には正しい答えがあるのだろうか」
と思うことがあります。
答えはあるのだろうけど、
それが正しいといえるかどうかはわからない、
というのが、実際のところではないか。
では、答えがない問題、
決して解けない問題というのはあるだろうか。
問題がそこにある以上は、
その答えは必ずあると考えるべきか、
問題だけはあるが、答えはない
(或いは永遠に見つけることができない)
ということもあるのかもしれない。。
言葉で、つまり論理で何か考えている限りは、
そういうことは間々あるんですが。
例えば、
「この問題はなぜ決して解けないのだろうか」
という問題は、決して解くことができません。
これはネタ元があるんですが、その解説書によると、
この問題が解けたということは「なぜ決して解けないか」の理由が
わかったということだから、決して解けないという事実が認められ
なければならない。つまり、いつか解けることがあってはならない。
つまり、この問題が解けたとすると、
問題文中の「決して解けない」という前提が偽である、
ということになると。
要は、シンタックスエラー(文法違反)があるってことですな。
そんな問題はそもそも存在しない(できない)。
存在しない問題は、当然解くこともできない。
そもそも、その問題が正しく成立する問題であるか、
というところから検証する必要があるってことなのです。
解けない問題をいつまでも、これは難問だなぁ、
解けない解けないといっていても骨折り損ってこと。
哲学の問題は解くのではなく、そもそも問題は無かったことを明らか
にしよう(解決ではなく、解消しよう=擬似問題だったことを暴こう)
というのが、20世紀前半に始まったウィトゲンシュタインや論理実証
主義の言語分析運動だった。
ただ、そのような(解けない)問題も問題ですが、
(何か変なの)
解ける問題が解けたときの答えというのもまた問題。
仮にその答えが「バッチリ正解!」といえるものだとしても、
じゃあそれで何?というか、その答えの意味を考え出すと、
結局振り出しに戻るみたいな。
哲学って、延々そういうことを繰り返してるんじゃないか、
というか、それが哲学ってものなのかとも思ったり。
何か、不毛ですね。
科学も同じか。。。