神様を考える

本日は雨。
夕刻、駅で公衆電話を使ってる女子高生がいた。
携帯を持ってないのか、忘れたのか、落としたのか。
とにかく、今時分、
“ケータイ”が必須アイテムであろう女子高生が、
あの緑の公衆電話を使ってるという絵が印象深かった。
電車の中で本を読みながら思ったこと。
よくある宗教で信じられている神様は、
全知全能で、完璧で、常に正しい存在で、
全てはその神の意思によってつくられたのだ、
ということになっております。
でもね。
その定義自体が既に矛盾してないか。
“正しい存在”という定義があるなら、
その逆の“誤った存在”もあるということ。
その神様がこの世の全てを完璧に創ったというなら、
そこに誤ったものは存在しちゃいけなんじゃないか。
周知の通り、人間はよく誤る。
ということは、神様は“誤る可能性”を持った存在を許した、
ということになる。
でも、神様は全知全能で完璧なのだから、
人間という自らの創造物が誤ったことをすることも、
あらかじめ知っていたことになる。
即ち、人間のとる行動は全て神様の知っていることで、
世の中は神様の描いたシナリオ通りに動いている、
ということになって、それ自体には誤りはない、
ということになる。(神様は誤らないのだから。)
つまり、
人間の行動は全て神様も了解済みのことであり、
むしろ、それは神様のシナリオに書いてあること、
ということになる。
以上を認めると、どういうことがいえるか。
私が今この文章を書くことも、
どっかの爺さんが今から3分前にクシャミしたことも、
ブッシュ大統領がイラク戦争をしたことも、
人の文明発達によって地球温暖化が進むことも、
全部、神様のシナリオということになる!
と考えると、その神様というのは、
決して人間を道徳的に救うような存在(?)ではなく、
ただ、自らが書いた(人にとって)無情なシナリオ通りに、
世の中の成り行きをつくっているだけである!
そんな神様は、宗教的にアリかナシかでいえば、
ナシなんじゃないかと思うんだけどなぁ。。
だって、信じても救われないんだもん。
(筋書きは最初から決まってるから。)
もっというなら、
その人が神様を信じるか信じないかということすら、
神様が決めてしまってるということになるもんね。
そんな宗教的正義を信じて戦争をおっぱじめる人って、
バカだよねぇ。愚かだよねぇ。
っていうか、そうか。
それも神様の筋書きということになるのだなぁ。。
…などと妄想して、
開いてる本を読んでいない自分に気付くのでした。

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