社会不適合者

ここのところ、
世間では「いじめ」の問題が騒がれております。
そのことについてここでは書くまいと思ってたんだけど、
やっぱり、今私が思ってるところを書いておこうかと。
「いじめ」というのは、
いじめられている本人がそのことを意識することで、
はじめてそういう問題になる。
たとえ「いじめ」という行為があっても、
いじめられている本人がそれを気にしていなければ、
あまり大きな問題にはならない。
といっても、
いじめ行為をすること自体は褒められた話ではないんだけど。
人は、いじめられることで、心身が傷ついて、辛くなるから、
登校拒否にもなるし、自殺も考えるんだろう、ということです。
じゃあ気にしなければいいじゃないか。
いじめられて傷つく人、というのは、私が思うに、
やっぱりそれでも集団にいたいと思ってる人なんじゃないか、
友達が欲しい、そういうつながりを大事にしたい人なんじゃないか、
そう思うんです。
だから、自分が一番、みたいな人とか、
他人なんかどうでもいいや、自分は自分、みたいな人とか、
自分の趣味や何か没頭してることがある人とか、
そういう人は、いじめられてもあまり苦にならない。
その良し悪しは別の話で。
そうはいっても、いじめられて全く苦にならないことはないんだけど、
自殺するしかない、という気分までいかなだろうということ。
本当は仲間に加わりたいのに、その仲間に入れてもらえない。
仲間でいるためには、何か辛い苦しい状態を強いられる。
仲間からはずされたら、もう自分の居場所は無い。
誰も助けてくれない。助けを求める先も無い。
ああ、もうこの世に夢も希望もない。。。
となって、思いつめるんだろうと思うんですが、
どうですかね。



私は、小学校、中学校の頃は、
まぁ普通に友達もいて、普通の生活を送っていました。
…と思ってるのは私だけで、
今にして思えばかなり生意気なガキんちょだったので、
実はいじめられていたのかもしれませんが、
私自身はそれを意識することはなかった、ということで。
高校時代は、ぶっちゃけ私は孤立してました。
友達といえる人もクラスに2、3人くらいで、
その彼らともそんなに打ち解けた感じではなく、
例えば、何かの授業でペアやチームを組まなければならない、
といったときには、彼らと組む、みたいな間柄ですね。
私から見れば、その彼らも集団に馴染んでる感じではなく、
私と同じような感じの人、という認識でした。
昼休みの時間なんかは、クラスの仲良し集団たちは、
体育館や校庭などに出て何か球技して遊んでたり、
校外に出て何かやってたり(何故か校内にいないことがあった)、
つるんでそのへんで駄弁ってたりしているわけですが、
私はひとり図書館で、SFなどの小説を読み耽ってましたね。
ただ、私だってそれで全く寂しくないことはない。
でも、正直いって、
集団の中でいろいろ付き合いを強いられるのは面倒くさい、
ひとりでいて、余計なことは何も考えず自由で気楽でいたい、
と思っていたのも事実で、実際そっちの意志の方が強かったから、
結果として孤立気味な状態だったのだろうと思います。
これは、いじめられている、というのとは別の状態なんだけど。
ここでいいたいのは、
いじめられて自殺に追い込まれるような人というのは、
きっと、本当は集団の中でうまくやっていきたいけど、
実際はうまくいっていない人、じゃないかなと。
大なり小なりみんなうまくやっていきたいとは思うけど、
それを気にする度合いの問題ですね。
友達が出来ないなら出来ないであまり気にしない人は、
私みたいな人だろうと。
集団に馴染めない、集団の中でうまくやっていくことができない、
そういう人は結構いると思います。
空気が読めない人とか、タブーがわかってない人とか、
個性が強すぎる人とか、正義を信じ過ぎている人とか。
それで、極端に集団社会に馴染めない人は、
「社会不適合者」といわれることもある。
自閉症の人なんかはよくそう呼ばれるみたいですが、
私は別に社会不適合でもいいんじゃないかと思うんですよね。
社会に適合する人が、必ずしも良い人とは限らんでしょ。
私なんか、
どちらかといえば、社会不適合者なんじゃないか。
とりあえず、集団に馴染もうという協調性が、私にはないから(笑)
なので、今私がフリーになってるのも必然だったのかもしれない。
会社のやり方に(特に、自分が納得のいかないやり方に)あわせていく、
ということは、私にはできない芸当だったのかな、と。
「いじめ」が起こる原因というのはいろいろあるとは思うけど、
その苦痛を解決するのは、最終的にいじめられてる本人ですからね。
いじめ行為自体がどうしようもないのなら、
そんな集団から孤立してみる、というのも一つの手ではないかと。
そして何も生きがいがなくなってはつまらないので、
何か自分の趣味なり夢なりがあれば良いんですが。。。
私はそんなとき、いつも「宇宙論」に興味を持てといいます。
宇宙論とかアホみたいにスケールのでかい話を考えてたら、
自分の抱えてる問題なんか砂粒ほどもない小さいことだ、と思えてくるから。
…とまぁそれは余談ですが。
それは何か自分が好きなことで良い。
そして、そんな孤立した人でも、
社会不適合者でなくなるような社会環境づくりも必要なんじゃないかな。
つまり、学校でも、孤立してしまったら学校生活おしまい、
という状況を無くせればいい。
本当は、みんな仲良く楽しくやっていける集団、
というのが望まれるんでしょうけど、それは当面理想論ですから。

コメント

  1. 匿名 より:

    宇宙論に興味を持てですか!
    それだ!
    妙に納得です。

  2. 月影 より:

    いじめに限らず、日常的に何か悩んだりストレスを感じたりしてるときに、こういうアサッテのことを考える(しかも宇宙論!)というのは、結構気分転換になるし、ちょっと客観的になって冷静になれるという効果もあったりします。
    というか、宇宙論は、普通に面白いハズ。。。

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