安部ちゃんが「美しい国」というのを提唱しております。
これについて国会のオジサンたちが、
小学校の学級会みたいな論議してるみたいだけど。。。
「美しい」と聞くと、政治が美しいということもあるけど、
見た目に美しいという話も多分ありますよね。
安直に考えれば、エコロジーな国、とか。
それで思い出した話があるのです。
かつて、アメリカがカーター大統領だった頃、
彼の意向で、ホワイトハウスの屋根に、
自家発電用のソーラーパネルが取り付けられていたそうです。
それでホワイトハウスの電力を全て賄うことはできないけど、
それでも晴れた日の昼間は、
消費電力全体の2割くらいがパネルから供給されていて、
その分の電力は節約されていたとのこと。
これが、次のレーガン大統領になったとき、
そのパネルがホワイトハウスの屋根から撤去された、と。
なぜ、撤去しなければならなかったのか?
これについてはカール・セーガンも文句をいっていて、
(最近、セーガン氏の本をよく読んでたりする)
パネルを撤去すると、また全電力を買わなければならなくなるし、
その分電気代も上がるだろうし、
撤去する工事にもそれなりに費用がかかっただろうと。
そのどこにも利点を見ることができないのに、
なぜそうしたのか、という話です。
私は、レーガン氏という人についてはよく知らないけど、
歴代米大統領の中でもかなり高い支持率を維持した人だった、
ということくらいは知ってます。
それだけ米国民からは愛された人だったわけで、
ということはそれなりの人格者で政治家であったということでしょう。
でも、このエピソードだけ聞くと、
せっかくカーター氏がやろうとしていたエコロジーを、
レーガン氏が否定した、という風にしか見えない。
パネルの維持にお金がかかる、ということなのか。
正しいことが何なのか、というのもはっきりしないんだけど、
一般的に「正しい」ことをするのが、
支持される政治家ではないのかな、という気がしますね。
つまり、市民が望むことをやる人が、
結局支持される政治家ということであって、
支持されているから正義、とはならない。
一般的には、
市民が望んでいることが正しいこと、
なのかもしれないですけどね。
例えば、環境問題に真剣に取り組む政治というのは、
結果として産業に本業以外の負担をかけることになって、
民間企業を圧迫し、経済を停滞させる要因にもなり得る。
そもそも、世の中のおよその動向というのは、
物事が安易な方向へ動くようになっている。
モノは高いところから低いところへ落ちていく。
熱は熱い方から冷たい方へ流れていく。
エントロピー増大の法則ですよ。
まぁ、そのような流れが自然ということでしょう。
だから、エコよりも産業なわけです。
これはエコに限らない話で、
例えば、小泉政治みたいに都市重視の政治になると、
都市の産業や雇用が充実するようになって、
国全体の経済はよくなっているように見えるけど、
地方が御座なりになって寂れていくという副作用がある。
逆に、地方重視にしようとすると、
都市から地方への交通を充実させなければならないので、
道路をつくったり空港をつくったりとなるけど、
そんなものつくっても誰も利用しないから、
都市部からは「無駄だ」という苦情があがると。
結局、その中で一番折り合いの良い位置を見つけるしかない。
それを何とか上手くやるのが政治家なのかね。
先の話でいえば、
美しい国を目指したのはカーター氏のように思えるけど、
国民的にはレーガン氏が支持されたということですか。。。