うまくやろうとするならば、
その秘訣は適度な不安を選ぶことだ。
極楽トンボとノイローゼの間のどこかに、
私たちがとるべき精神状態があるはずだ。
これは、カール・セーガンの言葉だけど、
実際その通りだと常々思っている。
ほら、不幸の法則も、その一端だと思うわけで。
何かを不安に感じる、感じていることって、
イコール生きていること、ではないか。
何にも心配事がなくなるって、それこそ極楽トンボであって、
それって人のあるべき姿としてはナシなんじゃないかなって。
多分、悩み事がなくなるっていうのは、
気が狂うのと大差ない状態じゃないかな。
かといって、あまり過剰に不安に苛まれるのは、
精神衛生上もよろしくない。
だから、適度な不安というセーガンの言葉は言い得てて、
常にそういう状態であって然るべきじゃないか。
人であれば、自分のことも心配事がたくさんあるだろうけど、
自分以外の誰かのことを心配する、ということもある。
例えば、身近な人とか、親とか子供とか友人とか、
恋人とか配偶者とか、いろいろな仲間のこととか…。
そうして心配しなければならない他人がいることって、
逆に幸せなこと、でもあると思う。
これ、直感で理解できるはず。
人同士が完璧に分かり合うということは、多分ない。
どこかに必ず誤解があるし、思い違いがある。
お互い違う人間なんだから、それは当たり前。
でも、違う人間のことを心配することはできる。
そして、その人について不安を感じることになる。
むしろ、違う人間だからこそ、
また、その人のことを理解すべきと思う人であれば、
心配して不安になるのだろうと。
つくづく、難儀な生き物だね。。。