夢十夜

こんな夢を見た。
ある女性が不意に身篭り男の子を産んだが、
その父親は既におらず、
貧しさゆえ女性の身ひとりで育てていくことはできなかった。
思い詰めた女性は、
深夜、山林の人気のない湖にその子を沈めてしまった…。
数年後。
その女性は裕福な卸問屋の男に見初められ結ばれた。
2人の間には男の子もひとりできて、
女性は幸せな日々を送っていた。
そんなある晴れた昼下がり、
女性が子供を連れて湖のほとりを歩いていたときのこと。
キャッキャと無邪気なその子が湖をみたいというので、
母親に支えられて湖の中を覗きこんだ。
そのとき、男の子は静かにいった。
「今度は、その手を離さないでね。」


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この話、怖いと感じますか。
私が学生の頃、友達に上の話をされたことがあって、
そのときの私は結構背筋にきたのを記憶してるんですが。
この話の元ネタが夏目漱石の「夢十夜」だと後で知ったのですが、
今「夢十夜」のような話を読んでも、当時のような感覚にならない、
というか、あまり怖いとは思わなくなってる気がするんですよね。
何か、昔とは恐怖の対象がだいぶ変わってる気がする。
子供時分は、
夜、家の暗い場所なんか歩くときは、どうにも怖くてしょうがなかった。
その暗闇に何か得体の知れないものがいるんじゃないか、
という、ありもしないものに対する漠然とした恐怖があった。
実家の廊下の奥は仏間になっているんだけど、
夜は、明かりをつけないとその廊下の奥が完全に暗闇になるので、
その奥には仏壇があることを知っていた私は、
何か白いものでもいるんじゃないか、とか思っていたわけですな。
でも、今は全くそれを感じない。
最近、いろんなものに感動しなくなったなぁと、
いろいろな場面で実感しているんだけど、
今、実家に帰ってきて、
深夜に、同じ暗闇の廊下に立ってみて、
昔と同じ状況にあるはずの自分の感性のギャップに、
改めてそれを感じているところでして。
今はもう、そんなものはいないとわかっている、
というか、廊下の奥は普通に仏壇があるだけだと知っている、
というのは、まぁあるのですが、
子供の私だって一応それは知っていたわけで、
知っていながらそういう感覚に陥っていたわけです。
上のような話を今されても、
多分「ほほう、怖いなぁ」程度には思いこそすれ、
心からゾッとする、というようなことはないだろうなと。
むしろ今は、
明るい台所にいるゴキブリの方が恐ろしいわけでして。
子供の私なら、
最終兵器スリッパで苦もなく一撃のもと仕留めていたものなんですが、
今の私は、情けないことにそれができなくなっている。
(いやだってさ、思いっきり叩くとどうなるかというと…(自粛)…)
恐怖の対象が、ありもしない未知のものだったのが、
実在する物理的なものに変わっているのか。
それはそれで大人になるってことなのかもしれないけど、
子供の頃みたいな新鮮な感覚が今にして恋しいなぁ、などと思う、
ちょっと遅い盆休みを実家で暇満喫中の月影でありました。。。

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