ライブドアのあれやこれやの報道を見ていて、
その中の当事者たちの証言の中に、
「 やっていることは知っていたが、
それが違法だとは思わなかった。」
というのがあったんだけど、
これで思い出したことがひとつ。
これもある本で読んだことなんですけどね。
法律の専門家の間でも意見が分かれている判例があって、
「たぬき、むじな事件」といわれている事件と、
「むささび、もま事件」といわれている事件の話。
「たぬき」というのは禁猟対象の動物。
それを、ある人が「むじな」だと思って狩ったそうな。
ここで、「たぬき」と「むじな」というのは、同じ動物です。
で、「むささび」も、禁猟対象の動物。
それを、ある人が「もま」だと思って狩ったそうな。
ここで、「むささび」と「もま」は同じ動物です。
(その地方では「むささび」のことを「もま」と呼ぶらしい)
一見、同種に見えるこの2つの事件ですが、
前者は無罪、後者は有罪の判決だったそうです。
それはなぜか?
その話によると、
「たぬき、むささび」の方は「事実の錯誤」、
「むささび、もま」の方は「違法性の錯誤」
ということになるようなんですね。
「事実の錯誤」というのは、
自分がやっていることが何であるか認識できないこと。
「違法性の錯誤」とは、
自分がやっていることが何であるか認識はできているが、
それが違法であることを知らなかったということ。
つまり、「むじな」と呼ばれている動物が、
実は「たぬき」だったということを知らなかったということと、
「もま」と呼ばれている動物が
実は「むささび」と同じだということを知っている(認識できる)のに、
知りつつ狩りをした、という違いがあったと。
「むじな」は比較的一般化している呼び名で、
それが「たぬき」と同一であることが認識されていないことはあり得る。
「もま」は地方独特の呼び名で、
しかもそれが「むささび」の特徴的な形態と同じであれば、
同じ動物であると識別できないわけがない、
ゆえに、それは「むささび」が禁猟だと知らないことによる行為。
…という判定のようです。
法律のことは、私はよく分からんのですが、
まぁ、知っててやるか、知らないでやるか、
もしくは、そうかも知れないけどやってしまえ、というのとでは、
有罪と無罪の違いがあるんですねぇ、と。
無知は無罪ですか。
んで、「やっていることは知ってた」けど、
「それが違法だとは思わなかった」というのは、
この判例からして、堂々の有罪なんですよね。
言い訳になっていない。
多分ね。
それが法律に触れるかどうか、なんてことを考える前に、
法律に触れるかもしれないような行為というのは、
普通に犯罪性があると思うんですよ。
つまり、普通の精神状態であれば、直感で、
「これは悪事かもしれない」
と思うようなことって、十中八九悪事なんですよ。
法律云々以前の問題です。
で。ですよ。
無知、というのは、仕方がないことで、
それが無罪になるのも確かに不可抗力かもしれない。
でもね、これが一番恐ろしい気がするんですよ。
むしろ、知っててやる方が、
性根は悪いかもしれないけど、まだ救いがある。
反省もできる(はず)。
それが犯罪だと知らない。
やってることが悪いことだと認識できない。
私は、こっちの方が、格段に恐ろしいと思うんです。
だってさ。例えば、人を刺して殺しておいて、
「え?いけないことなの?」
なんていわれたら、ぞっとしますよ?
まぁそれは極端過ぎだけど、
前に書いたマナーの話とかもそうです。
それが悪いことだと知っていてやっているのか、
全く知らないでやっているのか。
例えば、高原にツーリングとかに来たりして、
そこでタバコとか吸って、それをそのへんにポイ捨てして、
缶ジュースとか飲んで、その缶もポイしちゃって、
コンビニのビニール袋とかも置き去りにして
そのまま帰る阿呆が後を絶たないわけですがね…。
タバコとか缶とかビニールとか、そういうものは、
決して自然のサイクルに還ることができないもので、
そういうことがちゃんと知識としてあれば、
自ずとそういうことが悪いことだと分かるはずなんです。
という意味でも、
無知は最大の罪だと思うんだけどなぁ。
おまいら、もうちょっと勉強汁っ!てことです。
# ライブドアとか、もうどうでもいい(笑)