メタ欲求

何かが起こるということについて、
その起こりやすさ、起こりにくさを表す値として、
確率というものが用いられます。
何がしが起こる確率は何パーセント、とか。
要するに、
それが起こる以外の全ての事象をまず想定して、
その中から、該当の事象がいくつあり得るか、
という話。
しかし、その値が大きいからといって、
いつもその高確率の事が起こるわけではなく、
確率の低い方が実現することも多々あると。
ちょっと思ったことがあって。
…というか、これまたいつも思ってることでして。
自分が希望すること、ということの確率が高いか低いか、
ということは、
実は確率という概念では表現できないんじゃないかな。
なんてね。


以前、ここで
“希望率”
なんて概念の話をしたことがありました。
自分が希望したことが起こる確率、みたいな話。
#“希望率”は私の造語です。
例えば、口の広いゴミ箱に、
今しがた鼻をかんだ紙を投げ入れようという場面において、
そのハナ紙が、見事ゴミ箱の中へ入る率について考える。
確率の概念で考えるなら、
そのハナ紙は、ゴミ箱の外へ外れるか、
そうでなければ中へ入るかの確率が高い。
さて、実際に投げてみる。
シュート!
そのハナ紙は、ゴミ箱の淵にヒットして外へ外れた。
これ、ありがちですよね?
一体、
そのときハナ紙がゴミ箱のその淵に当たる確率はどれだけだったかと。
ハナ紙ハナ紙と下品でスミマセン。
つまり、それが起こる確率は低くても、
それが“起こって欲しくない”と思ったことは実現しやすい。
まぁ、そんな話。
やっぱり、つくづくそうかなぁ、と改めて。
互いに相反する2つの欲求があったとする。
そのいずれかが実現することを考える場合、
その欲求の強さで実現のしやすさも決まる。
例えば、朝早く起きてゴルフへ行きたい、というとき。
欲求1. 朝は布団にもぐってずっと眠っていたい。
欲求2. 早く起きてゴルフへ行きたい。
実際は、欲求2を実現するために、欲求1を否定する必要があるわけです。
そのために、前の晩に目覚まし時計をセットして眠る。
この目覚ましをセットする、という行為は、
欲求2を実現するために欲求1を抑えようとする別の欲求からくるものです。
これは、ゴルフへ行く、という行為の動機による行為でなく、
ゴルフへ行く、ということを実現したい、という、
欲求を実現するために別の欲求を抑えるための、第3の欲求になる。
こういうのを“メタ欲求”といいます。
実は、人生のあらゆる場面において、
真の欲求よりも、こういうメタ欲求の方が多いかもしれない。
夢を実現するときに、それが現実に阻まれているときの葛藤も、
夢そのものに対する欲求、というよりは、
その夢を実現したいなぁ…というメタ欲求に終始してはいないか、と。
希望率は、
実は、メタ欲求の実現可能性の話なのかもしれない…。

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