大人になるということは、
ずる賢くなる、ということなんだろうなぁと、つくづく思う。
子供の頃に、
大人に教わってきた「良いこと」とか「正義」とか「道徳」とか、
そういったものは殆ど幻想に近い。
現実には、人は何らかの悪事を働きながら、
それを表に出さないで、
或いは何らかの理由をつけて正当化して、
いかにも自分は悪く無いようにふるまっていく。
みんな、多かれ少なかれ、
そう演じて生きているのではないかな。
そういうのをズルをする、というのだと思うが、
それがバレて、世間に悪事が認知されてしまうと、
その人は「悪い人」ということになる。
逆に言えば、バレなければ「悪い人」にはならない。
例えば、
仕事のやり方や管理が全く杜撰な管理職や、
人に仕事をふってばかりいるエラそうな社員でも、
評価する人の前でさえ良い顔をして、
さらに口も上手ければどんどん出世していく。
そんな裏で、
必死に働いている技術者とか作業者などは、
いつまでたっても評価されず報われない…。
つまり、見た目が良ければ、
とりあえず世間からは「良い人」として扱われる。
最近、巷では建築の話でいろいろ問題になっている。
耐震基準を偽って施工していたということがバレて、
何やらえらい騒ぎになっているのだけど、
あれって、建築に限った話じゃないですよ。実際。
いろんな場面で、
かなりのズルをされていて、それがまかり通っている。
建築の例だと、建築費削減の為に鉄筋を減らしたり、
それ以外の資材もおそらく少なめだったり安物だったりすると。
それを、いかにも万全の建築をしたかのようなものとして
世に売り出されていく…。
私のやっているシステム開発も、実は同じようなもので、
顧客から仕事をとってくるときは、
実際にかかる費用や期間よりかなり少なめになっている。
本来、1年くらいかかって開発されるべきシステムも、
大抵の場合、半年以下の期間で完成が求められていて、
しかも、その完成度は1年かけてつくるものか、
それ以上のデキを求められるわけ。
当然、設計や開発工程も圧縮されて、
それをつくる開発者には無理がかかってくる上に、
テストする期間も短いから十分な検証が行えず、
不具合だらけのシステムができあがってくると。
その不具合をつくったとして悪者になるのは、
無理を通されて一生懸命やってきたはずの開発者。
で、その対応に追われるのも開発者。
耐震データ偽造の問題も、
決して悪事を働いた建築士だけが悪いわけじゃない。
むしろ、そういう動きを求めた上位にもっと問題があると思う。
今回の事件は、
私自身をとりまく環境とも重なる部分が少なくない気がするのだ。