あの日、あのとき、あの感動

昔、私が小学校低学年くらいの頃だったと思うが、
父親が彼の友人宅へ私を連れて遊びにいったことがある。
そこには、2、3人ほど、
父親の友人とおぼしき人がいたと記憶しているが、
その席は飲み会のような感じで、
退屈にしているだろう小さな私を気にしてか、
そのうちの一人がある手品をして見せてくれた。
こんな手品だった。
その手品師は、まず白い紙を取り出し、
それをくるくると筒状に巻いていった。
そしてその筒の真ん中あたりを軽く折って、
なにやらマジナイのようなことを始める。
すると、その筒の真ん中あたりの部分が、
ぼうっ…と黄緑色に光りだしたのである。
私は、それを見て驚き、と共に、
かなり強くその仕掛けに興味を持ったように覚えている。
実際、その仕掛けは簡単なもので、
筒の中に釣りで使う蛍光ライトを仕込んでいただけであった。
それは小さなビニール製の筒状のライトで、
中に2種類の薬品が入っていて、
それを軽く折ってやると、中で薬品が混ざって、
黄緑色に発光する、というものである。
そのへんの釣具店にいけば売っているとのことだった。
(多分その光で魚が寄ってくるのだろう)
私は、そのライトに興味を持って、
父親とその友人たちが飲んでいる脇で、
もう光らなくなったその物体をマジマジと見つめていた。
あのときは、本当にそうして、
初めて見るものに興味や好奇心を持ったものだ。
そんな私を見て、その手品師は、
帰りに、おみやげにと、そのライトを3個くらい私にくれた。
今は、何を見てもあまり感動しなくなってしまった。
あまり興味も持たなくなってしまった。
きっとタネや仕掛けがあるだろうと思うだけで、
実際それがどんなものか知ろうとする気もあまり起きない。
一体いつ、どこでそうなってしまったのか。
ずっと現実に接していて、
生きることだけで背一杯という毎日が繰り返される。
本当は、そんなことはない。
生きるのに必死な人なら、全世界を見渡せば、
もっと過酷な環境に置かれている人たちはもっといる。
私など、何かに興味を持ったり、
好奇心を抱いたりするくらいの余裕はあるはずだ。
これは私だけだろうか?
そんな不安に、最近駆られる。
日本の社会がどこかおかしくて、
或いは、今の職場なり取り巻きなどが歪んでいて、
心にそんな余裕がなくなっているのかもしれない。
しかし、そうであるなら、
同じ環境下にいる他の人もそうであるはずである…。
最近、
テンペル彗星に探査機を衝突させるという、
すごいプロジェクトをNASAが成し遂げた、
というニュースがあった。
それはすごいことだ、というのは理解できるが、
どうも実感がない、というか、心から「すごい」と思わないのである。
そんなことが出来るんだ、へぇー、程度なのである。
少なくとも学生の頃の私なら、
もっとその内容にも興味を持って食い下がったのではないか。
あの、簡単な手品にすら感動できる心を
取り戻したいと思う今日この頃…。
何か、余裕がないのかな…、最近の私は。

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