生物種が決して踏み越えてはいけない線
破られてはならない掟
それは何だと思う?
それは
生きるということ
そして
生かすということ
その心を失わないこと
近年、とても簡単に生命が失われているように思う。
人が人を殺す、ということが日常茶飯事になっていて、
それが起こっても別段珍しいことと感じなくなっている。
子供が簡単に殺される。
しかも、かなり酷い手口で残忍に殺されるという事件が後を絶たない。
他人の子供を殺す凶悪犯ばかりかといえば、
自分の子供を殺す親も出てきているのが昨今の現状である。
これは自然の流れか。
本来、生物はその子孫を残していかなければならない。
それが、結局のところ生物の最終目標でもあったはず。
しかし、それが崩れつつある。
親が我が子を保護するのは、本能的なものであったはず。
それは、最終ラインともいうべきものであるはずだ。
親が自分の子供を守らなければ、誰が守るのか。
子供が泣くから。
いうことを聞かないから。
疲れたから。
だから、子供を…。
そうしたものを乗り越えられる母性愛も消えつつあるのか。
現在、地球上の全人口は60億人に迫ろうとしている。
その人類がこのまま増え続けることが、
必ずしも地球にとって、もしくは宇宙にとって正ではないのかもしれない。
ここにきて、地球規模のアポトーシスが始まっているのだろうか…。
ただ、人が地球上に誕生したこと自体は事実であり、
その人類がこうして世界の動向を考えられるようになっているのも、
また事実である。
人が存在する意味などというものは、
おそらく、いくら考えてもその答えが見つかることはないだろう。
人は、それを探して生きる生物種であり、
それが見つかってしまうと、その目的を失ってしまうから。
この宇宙が上手い具合にできているという保障は何もない。
人がこのままいつまでも生きられるとも限らない。
そんな、薄い氷上に立たされているのが生物であり、
また、この宇宙そのものであると思う。
自然の摂理。
生物が、生きて、死ぬ。
確かに、それは日常茶飯事である…。