山道や砂浜で根っこや石っころに躓いても、ああ気をつけて歩かないとな、と思うのだけど、街中で根っこや石っころに躓いて転んだりすると、こんなところにこんなもの置いたのは誰だ!という話になる。
養老さんの著書にそういうくだりがあったのだけど、確かになあと頷いてしまった。
要するに、人はここはこうあるべきだ、或いは、こうあらねばならない、という偏見というか、固定観念を持ちすぎているということ。特に都会で生活をしていると、そういう考えに志向していくと。街は人工物で固められてるから、当然そこには人工物しかない、と思い込む。根っこなんかあるはずがない。あったら直ちに排除すべきだという感覚。
想定外のいろんな情報は当然身の回りにあるはずだし、それはいつ自分の目の前に現れても不思議ではない。むしろ、自分の想定していることばかり起こるということの方が不思議な話と思うべきところじゃないかと。
知らない間に、私たちは、自分の周りの情報を固定しているんですね。無意識に。そう思おうとしているわけでなく、昨日もその前もそうだったから、きっと今日も明日もそのはずだと。勝手に頭の中でフィルタリングして、その範囲にない情報を排除するようになっている。
最近思うのは、世界を見ている観察者は自分しかいないのだという、つまり、自分が客観であるという、自分が見ている世界は他人も同じようにそう見ているはずだという、そんなような思い込みが強くなってきていないかと。