チェス

この世には、チェスのルールを創った人と、チェスのルールに従って対戦をする人がいる。
私たちは、きっとそのチェスのプレイヤー、つまり後者ですね。
大概の人は自然の法則なんか知らないんだけど、そのルールに縛られた行動しかできない。つまり、自然の法則に従って行動させられていると。
何であれ、学問というのは、そのルールを知ろうとする行為。いわば、対戦を客観的にみて、それぞれの駒がどういう動きをするか、どういう動きはできないか、それを知ろうとする行為。
でも、知ろうが知るまいが、何かの法則にしたがって動いている、そう動くということには変わりない。
ところで、人間の活動の中心はきっと何かを知ろうとすること、知的活動でしょう。その究極は、世の中の真理、つまり自然の法則を知ろうとすることで、最初の話に戻れば、チェスのルールを創った人を知ろうとする行為。
でも、いまだ、全然その人がどういう人で、どういう意図で、この自然を創ったか解からない。というか、このチェスの完全なルールすら、まだよく見えていない。
これは、実は前提の誤りがあるのではないか。
私たちは、本当に、チェスのプレイヤーなんだろうか。ルールを知るという行為と、ルールを創るという行為は、それを認識するという点において等価である気がする。
お釈迦様の手のひらだと思っていた世界は、実は自分の手のひらだったりして。
私は何をいってるんだろう。

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