起こりやすさ

起こりやすさ、起こりにくさ、ということについて考えてみようと思うのです。希望率の話が、今ちょっとマイブームなもので、それに付随してこんな考え方もあるかなと。
何かが「起こる」ことには、理論的(数学的)に「確率」というものがありますね。確率というのは、それが起こった回数を、それが起こりうる最大の回数で割った数値、という言い方で(とりあえず)良いかと思うんだけど、これは、それの「起こりやすさ」にイコールではない!そんな気がするというお話。
例えば、口の大きなゴミ箱にゴミを投げ入れようとする場合。そのゴミは、箱の中に入るか、その外側へ外れるか、そのいずれかが実現する確率が圧倒的に高いはずですよね。しかし、実際に投げるとゴミ箱の口の「淵」にヒットする。そこにヒットする確率は入るか外れるかの確率に比べればかなり低いはずでしょう。なのに、どうもそこに当たることがよくある。ただ、実際に何回か投げれば、確かに入るか外れるかの回数が多くなる。
注目すべきは、それをしようと思ったその瞬間、それが起こることの「起こりやすさ」です。要は、ここぞ!というときの確率。
しゃーっ、と自転車で走っているときに、目に虫が飛び込んできたときにね、顔の面積がこれだけあって、そのうち目はどれ程よ!って突っ込みたくなったときのあの気持ちですよ。あるいは、ドアを開けて部屋に入ろうとしたときに、入り口に足の小指を思いっきりぶつけたときとかね。入り口はこんなに広いのに、どうして、まさにそこにヒットさせるか、と。
確率的に、それが起こることは稀な方であるのに、それが当該の人にとって負の方向の事象については、その瞬間、その起こりやすさは飛躍的に上昇する!
みたいなことを思う最近。

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