感覚

何かの創作だったか対談だったか忘れたのだけど、人が想像できるもの(こと)は全て実在するのだ、という言葉を思い出した。
そうかもしれない…とも思うし、そんなことはないだろう…とも思う。
確かに、人は何もないところから何かを想像することはできない。ということは、人が思いついたことというのは、確かにどこかで経験していること、ということになるのか。
作家だって、何か作品を書くときは事前に取材という作業をする。何もネタのないところからいきなり壮大な物語を創り出す、なんてことは、普通にできない、難しいんでしょう。
実在ということを考えたとき、人の感覚できるものは、とりあえず全部「実在」になる。そう考えると、それは真でしょう。しかし、その感覚は実は確かなものでないから、自然科学的に「実在」と判断し難いもの、なのでしょう。
難しい。
そんなんどうでもいいじゃん、と思ってしまえばそれまでなんですが。しかし、なぜどうしてそうなの?と知りたがるということにも、何か意味あるんじゃないかと。それが自然科学を追求する精神でしょう。そうして得られる知識の多くは、生きていく上ではほぼ必要のない知識なのかもしれないけど、それを追求してこなかったら、今の人類文明はなかったわけだから、長い目でみれば、こういう好奇心というか、知識を欲する精神というのは必要なものなんだと思いますね。
生きる上で実用的な話と比較して、生きるということ自体の意味を考えたときに、それは何かを知るために生きているんじゃないか、と考えたら、実は、それらの知識は価値として同等なんではないかと。
最近、フィロソフィー日記。

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