ぼーっと

便所で紙が切れていたとき、いつも何故か、私の頭の中でクリスタルキングの「北斗の拳」のテーマ曲が流れ出す。曲も歌詞も「北斗の拳」も、その事件とは何の脈絡もないのに。こういうのも、無意識のうちにそういう関連付けが脳内で為されているのだろう。
人に接するとき、その人が他人で自分以外の構造物の一つという風に、つまり、普段なにも意識しないで人を見る場合は、それは他人で、大衆の一人、としか感じない。ところが、その人も自分と同じ人で、自分と同じく自己中心的意識を持っている、と考えると、何かその人が可愛く思えてくる。普段の会話をしていても、その人が何を考えてそういう言葉をしゃべっているのか、どういう心境で、何を意図しているのか、などといろいろ考えながら聞いていると、それがアカの他人であっても何か愛おしくなってきたりする。
本当に人の気持ちを考えるとは、こういうことじゃないか。
ところで、あれほど懸念した“嫌な上司”が滅多に今の拠点にこない。やったね。

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