グローバル化

ネパールの王政の中には、いろいろな宗教的文化や信念が根付いている。カトマンズは女神に守られた都市として、普通の女性も特別な扱いを受けている。何でも、11歳を過ぎたあたりで6日かそこら暗い部屋にずっと篭っていなければならないというような慣わしがあるらしい。そうすることで、少女から子供の産める女性になることができると信じられているからだそうだ。
それも凄いが、女神の化身(クマリという)と定められた少女は、ずっと王宮に閉じ込められてしまう。閉じ込める、というと語弊があるか。しかし、年に数度しか外へ出てこないというのだから、ほぼ閉じ込めに近いような。たまに出てきては、その足元に信者がひざまずく。ワケもわからず目の前で土下座される少女。いや、ワケわかってるのかな。今現在のクマリは4歳だそうだが、一度クマリに定められた少女は20歳までそれを続けなくてはならないと。どんな気持ちなんだろう。
日本人の価値観からこの有様を見ると、とても異常で異様に思える。しかし、地元に人々にとってはそれが日常で当たり前のことなのだ。これを別の価値観から、例えば我々日本人の価値観から「それはおかしい」とか「間違っている」などということはできない。彼らは彼らのやり方で生きているわけで。同様に、おそらく日本人とアメリカ人の価値観も違う。中国人とも、ヨーロッパ諸国の人々ともロシア人ともユダヤ人ともアラブ人ともおそらく違うだろう。
要は、ここにグローバル化の限界があるということ。土着の文化というのは、それぞれの地方にある。それによって価値観も全然違うだろう。今「グローバル化」といっているのは、一カ国、殊に西欧(主にアメリカ)の価値観に全世界を感化する、ということに同義になっている。果たしてそんなことができるのか。一つの価値観を押し付けたりするのでなく、それぞれの文化や思想をそのまま尊重していっても良いだろうと思う。それらが全てを認めあって共存する世界の方が、より自然じゃないだろうか。

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