おもうに、こういうことではないだろうか。
地球人は本質的には他より抜きん出て優位に立ちたいという願望を持っている。
この願望は、スタートラインにおいては、つまり、誰もがトップに立つ可能性を有する間は公認されているが、レースが展開され、勝敗が明らかになるにつれて、声高く平等が叫ばれるようになる…
(#征地球論より)
こういう話は実にあり得るのであるが、勝ち組にも一種の自惚れが出てくるのも確かで。役人とか議員とか、一流企業の役員とか、ある一定以上の地位を得た人たちは、そこに至っていない凡人たち、自分からみたら下位の人らにナメられたくないという気持ちは少なからずあるだろうと。自分の方が上だとみるや、その相手の話をあまり聞こうとしない、聞く価値がないと思っている人も結構いるんじゃないかと思う。
勝ち組が勝てた、或いは優位にいられるというのは、その能力があったとか、時代にマッチしたとか、要領が良いとか、そうなれただけの才能や努力、或いは運もあったということで、何かズルをしてその立場にいるとも限らない。悪いのは地位や立場ではなく、その人個人だろうと。高い地位にいる人たちに高飛車な人が多いのはそうかもしれないけど、中には謙虚に話を聞いてくれる人もいるのだから、一般大衆としては、地位に関係なく話を聞いてくれる人を見極めるというのが重要なんじゃないか。
国が悪い、権力者が悪い、とかではなく、せっかく民主主義なんだから、その国をつくってくれる権力者、つまり国会議員を真面目に選ぶのが、私たち一般人にできることなんじゃないだろうか。