私の証明

久々に弁当を作る。
とりあえずご飯を弁当箱に盛る。その間に出かける身支度を整え、かまぼことちくわを切って突っ込んで、湯気が上がらなくなったところでフタをし、フリカケと一緒に新聞で包んでカバンへ。
こうしてちゃっちゃと作業をすると、いつもより早く出かけられるから不思議だ。作業量はいつもより多いはずだったのだが。つまり、普段がだらだらし過ぎなのである。
最近、すっかりだれている。仕事も先が見えてきて、大したこともなく、このまま平和に終われそう。いや、つくづく復旧できてよかった。まぁそれもあり、普段も何の目標もなく、ただ過ごす。暮す。最近やりたいこともないし。逆に何らの強迫もない。緊張感もない。何か、とても大事なものをどこかへ落としてきた、そんな漠然とした不安である。
毎日が全く変化がないというわけではないんだよね。それなりに事件は起こっているし、新しいことも日々目にしているはずだ。今日などは、職場にキャリア採用の新しい人が配属になった。そんなことにも、私はあまり関心もなく。心の中は淡々としている。
客観的になっている。自分であろうとしていない。しかし、自分とは何者かということも分からない。ただ、生きる限りは自分に固執するしかない。理由などなく。喜びが少ないのが今の世の中だが、喜び自体どういうものか、忘れかけている気がする。
しばらく趣味に走ろう。

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