しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶ泡沫は
かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし…
私の言いたい過渡現象とはこういうことである。そこに同じくあると思っている全てのものは皆、川の水と同様で、同じに見えても常に移り変わっているのである。自分の体でさえそうである。新陳代謝で、1週間もすれば体の細胞自体はほぼ入れ替わっているもの。
昨夜、寝る前に自分がなぜそこにいるのか、唐突に不思議になった。この自分の意識というのは一体何者なのか。なぜこの意識は私なのか。
私の意識が消えた世界はほぼ永遠で、むしろ意識は限定的な事象である。にもかかわらず、私にとって私の意識は、それで全てである。それが終われば全て終わる。それでも、物質は宇宙のサイクルの中へ取り込まれ別の何かを形成するのである。
意識がリサイクルされるというのは仏教思想である。もし宇宙の本質が物質でなく、非物質的な何かであれば、意識もやはりそこに発起する一つの事件であり、それが再びどこかで甦るというのも自然ではある。
しかし、物質的には、私の命はあと数十年。大きな過渡現象の渦の中で、この期間の為す意味とは何か。
これは夢かな。夢なら誰の夢だろうか。