忘れられた自然(2)

雑草は、植えられている草花よりも、ときに興味深い。
通学路では必ずそれを目にすることもあり、
季節の変化を、まず私たちに感じさせてくれる対象でもあった。
春には、タンポポやオオバコ、あとレンゲソウなども咲く。
田んぼ一面に咲いた桃色のレンゲというのは絶景で、
三途の川手前の野原を思わせる。
夏になると、蒼いツユクサが咲き始める。
この草が咲くと、ああ、もう直ぐ夏休みだ!と喜んだものだ。
その夏休みが終わり、憂鬱な面持ちで登校する頃、
コスモスが咲き出す。
コスモスは雑草ではないのだが、実家の近所では、
秋になると、なぜか雑草のように勝手にその辺に咲き乱れる。
あとマンジュシャゲ(曼珠沙華)も秋の花である。
これは、俗に”彼岸花”ともいう、朱い独特の形の花をつける草。
綺麗だからとこの草を摘むと、摘んだ茎から白い液体が出てきて、
肌が弱い人はそれでかぶれたりしていた。
実際、その球根は有毒であるらしい。
そして、それらの雑草が姿を消し始めると、冬の到来である。
最近、そんな雑草もみない。
本当は道端に生えているのかもしれないが、気にしないのだろう。
子供の頃はあんなに敏感に自然を感じてたのに、その感覚も今は鈍い。
季節など、肌や自然で感じることなく、カレンダーの数字を見て
その季節だと”思い込む”。
一体いつからこうなったのだろう。
大人になるというのは、そういう感覚も失っていくことなのかも。
大人になると、視点が地面から遠くなるから、
地面で起こっている出来事が見えなくなるのだと、
子供の頃の私はそう思っていたような気がする。
しかし、遠くなったのは地面だけではないようだ。

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