20世紀の人類が生んだ思想に、「シュールリアリズム」という主義がある。超現実主義。人類は、現実を超えたところにもう一つの現実を見ようとしたわけだが、今世紀の科学は、まさに現実を超えた現実を作り上げた。百年前、誰があの月へ現実に行けると考えただろうか?
人は、現実を見ようとするあまり、本当の現実に盲目になるということが往々にしてある。そんなことが、現実にあるはずがない。そう疑うのは、人間の心理として理解できるが、それ以降考えないというのは発展的でない。現代科学を作り上げたとされる科学者の多くは、既成の現実を見るのではなく、新たな可能性を探求する能力に優れていた、ということができるだろう。つまり、知識が豊富というだけでなく、考える力も豊かだったのだ。
相対論で有名なアルバート・アインシュタイン。彼もそれまでの物理学の観念を一新した学者であるが、彼でさえ、既成観念に捕らわれた考え方をしていたことがある。彼自身、生涯最大の失敗と認める宇宙項の付加。彼が導いた一般相対論の式は宇宙が膨張していることを示していたが、アインシュタインは、宇宙が膨張するはずがない、と考えて、宇宙を静止させる為の宇宙項を付けた。しかし、後にエドウィン・ハッブルの観測によって、宇宙は現実に膨張していることが明らかとなる。
重要なのは、現実を現実として見つめるということ。つまり、自分の中にある常識で現実を固定してしまわないで、新たな情報のインプットは常に受け容れて思考する、という姿勢なのだろう。人類は万能ではない。少なくとも現在において、宇宙の全てを把握し理解しているわけではないのだ。現実は、新たな真実が見つかる度に更新され変貌していく流動的なもの。いわゆる定説など、人類にはあり得ない。
さて、いよいよ1999年も終わり、いよいよ地球最後の年、などと騒ぎながら幕を開けたのは、ついこの間のことのように思える。とりあえず、まだ人類は滅んではいないが、それでもあまり気分の良い年ではなかった気もする。国内において今年最大のニュースとされたのは、あの東海村臨界事故である。そして、奇しくも世界で今年最大のニュースと認められたのも東海村臨界事故だ。あの事故の第一報を受けたときの政府担当者は「そんなことがあるはずがない」と考えたという。そして、あの対応の遅れである。どうも人間というのは、現実を現実と認めるのに時間がかかるらしい。