[雑記] 戦争と科学

今やコンピュータ全盛期、主婦が家計簿をつけたり、女子高生が電子メールを交換したりと、ビジネスだけでなく家庭にも広く浸透している。うちの母親もつい最近表計算のソフトを使ったパートの仕事を始めた。一番縁のないと思っていた人までもそれを使う時代‥‥。新聞に次のような言葉があった。

「ヒトは体の外に脳を持つようになった」

この電脳社会の基礎を作ったのは、実は、核兵器開発だった。戦時中、米ロスアラモス研究所では、各分野のプロフェッショナルが集められ核兵器開発が行われていた。爆弾の設計段階で、核物質を最も効率良く爆発させるための圧縮火薬の配置、爆弾の規模と破壊力の程度、爆発の高度とそのときの効果、などの計算を行わなければならなかったが、それらは人の頭でやるにはあまりに膨大な計算量だった。そこで機械による計算をするわけだが、当時の計算機というのは電気機械式で、スイッチのオンオフをリレーでカチカチと切り替えていたという。この処理速度というのはあまりに遅く、もっと効率の良い計算機の開発が望まれていた。そこで、このオンオフの切り替えを真空管で電子的に行う「コンピュータ」が考案された。

現在、多くのコンピュータに採用されている方式は「ノイマン型」というものである。この大きな特徴は「プログラム内蔵方式」だ。私たちの使っているパソコンはソフトをインストールすればそのまま使える。しかし、登場当時のコンピュータは使用目的が変わる度に配線を繋ぎ変えなくてはならず、準備に数日かかるということも珍しくなかった。フォン・ノイマンがこの形式を考案した背景にも、水爆開発があった。

文明は戦争と共にあり。これは人類発祥以来、ずっと続いている伝統であるともいえる。そもそも、今現在地球上に君臨している生物というのは、それ以外の存在を足蹴にしてのし上がった子孫なのだ。おそらく、その中で一番大きな顔をしている人間は、地球上で最も野蛮な生物である、ということもできるだろう。

オッペンハイマーやアインシュタインなど、核開発に関わった科学者の多くは、それを作ってしまったことを生涯悔やんだという。しかし、ノイマンは違った。彼の日本への核攻撃を考える際のメモに、京都に落とすことは心理的効果あり、と記されていたそうだ。戦後も、ソ連への先制核攻撃さえ考えていたという。ロスアラモス研究所の同僚ベーテ博士は、ノイマンのことを「彼は倫理ということを理解していなかった」という。しかし、良い悪いは別にして、もしそうした攻撃的な精神がなければ、今の人類はなかった、ともいえる。

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