[雑記] 自分よ自分

新聞を読んでいると、他者としての自分、というフレーズに目が留まった。他者としての自分、はて、どういうことだろうか?自分は自分であって、自分から見て他者にはなり得ないはず‥‥。

よく、自分を大切にしよう、という説法を聞くが、それをあからさまにやられると他者としては、あまりいい気持ちはしない。それが、自分本位に映るからだろう。しかし、やはり、自分は自分として、自分のために生きるのが常である。しかし、他者とも共存していかねばならないのが人生。

そもそも、自分を実感するとき、とは、どういうときだろうか。自分がそこにいるのだな、と確認できる。それは、他者によって自分の存在が確認されたときに実感できるのではないだろうか。人生とは、他者に如何に自分を見せていくかである、という考え方もある。つまり、自分という存在を他者に見せてなんぼ、という思想だ。自分しか知らない自分は、つまり、他者にとって存在していない。

ここに、自分にも二重性があることに気づく。いわゆる他者にとっての自分と、自分にとっての自分だ。他者にとって自分は他者。この「他者としての自分」が世間における一般的な自分ということになるのだろう。

「何に対して自分が自分であるかという、その関係の相手方が、つねに自分を測る尺度となる」という、デンマークの思想家キェルケゴールの言葉が、同時に紹介されていた。他者によって見られる自分が、世間での自分の評価。しかし、自分の中では、そうでない自分であって、かつ世間にも理解して貰いたい自分もある。これを叶えようとして挫折した人は、世の中に少なくないはずだ。

ただ、自分の思うことがその通りに叶うことの方が少ない。何かしようとして、全て失敗もなくうまくいく、というのも、どうも嘘臭い。現実(リアリティ)とは、概してそういうものなのだろう。

さて、どうすることが、一番良い自分となることになるのか?少なくとも、自分に自分を偽るようなことはしたくはないと思うのだが‥‥。

もう一つ、面白いフレーズを見つけたので紹介しておく。

人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことに、
天使のマネをしようとすると獣になってしまう。

ブレーズ・パスカル

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