1997年10月に臓器移植法が施行されて以来、初の脳死患者からの臓器移植が実施された。脳死、それを人の死とするかどうか、これはこれまでその現場では大いに議論されてきた問題だが、未だその明確な解答は得られていない。
大阪大学で、その心臓移植手術が実施された。ところで、私たちの心は何処にあるか、と聞かれて、あなたなら何処を指すだろうか。昔から人が心というとき、これは世界共通で胸に手をあてる。確かに、生命活動上クリティカルな部分だが、心臓はあくまで血液循環器の中枢であって思考や感覚を司るものではない。モノを思考するのは脳であるなら、心も脳にある、と考えるのが、近年では自然になっている。
ところが、こんな例がある。手術で大量に輸血を受けた患者が、手術前とはまるで別人のような性格に変わってしまったという。その体を流れている血液によって心が左右されるということなのか。とすれば、その血液を循環させている心臓は、その根源といえるのかもしれない。心臓を移植するということは、もしかすると、人の心を移植する、などということにもなるのだろうか。
合理主義を目指してきた人類は、近年、人の体を単なる生体の部品として扱うことに、さほど懸念を示していないように感じる。最近、心とは何処にあるものか?と聞いて、胸に手を当てる人は少ない。頭を指さす人が多数派だろう。脳が死ねば、それが人の死だ、という認識が浸透するのに、さほどの年月はかからないと見込まれる。