言葉狩り

乙武洋匡「僕は、カタワです」
(togetter.com)
これは乙武さんの6月ごろのツイートのようですが
偶然見つけて、まさにコレ!と思ったので。
大事なのは、言葉じゃなく、気持ちですよ。
言葉選びは、コミュニケーションを円滑にする上で
ときと場合によっては重要になることもあるけど、
その言葉を使う人の気持ちが汲み取れる場合は
言葉はさして重要でなくなる。
つまり、差別用語などといわれたり、
いわゆる“言葉狩り”にあうような言葉を使う人がいたとき
その人がその言葉に特に悪意を込めているわけでなく
自然に使っているだろうことがあからさまにわかる場合、
それを特にとりたてて責め立てる必要なないでしょう。
初対面であったり、何かフォーマルな場では
言葉遣いは相手や周囲に与える印象が違ってくるので
そういうところで言葉は選んだ方が良いことはあります。
でも、そうじゃない場面、特にネット上のやりとりで
そういう言葉尻をあげつらうような会話をよく見る。
例えば、「障害者」という言葉を見た誰かが
それは「差別用語だ!」と鬼のごとく攻撃しはじめる。
やんわり指摘する…程度ならまだ良いけど
さも自分が正義の味方であるかのように上から目線で
それはダメ!訂正しろ!くらいな勢いで騒ぐお人がいる。
この際、「障害者」という言葉を使った人に悪意があるかは
(特にネット上だとわかりづらいし)どちらともいえないので
とりあえず置いておくとして。
問題なのは、その「障害者」という言葉を、
またそれを使った人を攻撃している人の心根です。
そういうオマエ自身が人にダメージを与える行為をしている
ってことに気づけよ、と。
それは「障害者」という言葉の対象者に対してもそうだし、
その「障害者」という言葉を使った人に対してもそうです。
悪い奴をやっつけてオレ様カッコイイとなりたいのだろうけど
ぶっちゃけそれってよくある悪役の主張です。
何が正義で悪かなんてのは価値観や立場次第なんですが、
少なくとも、何も知らずにうっかり口にしてしまった人には
善意とか悪意などという意図はないでしょう。
もちろん、言葉を選んで使うということは
その背景を知っているなら気を使うべきとは思いますが、
その表層的な言葉自体は、多くの場合あまり重要ではなく
そう話している人の気持ちがどうであるかということの方が
コミュニケーションをする上で重視すべきだと思うのです。
実際、言葉だけで議論している人との話というのは
大抵つかみどころがなく、話が全然前に進みませんね。
てか、乙武さん、それ自分でいっちゃうんですね。
著書とか読んだことないけど、だからあんな人気あるのかな。

コメント

  1. RORO より:

    この人、よくこういう事言ってますよね。
    まぁ、強い人だから、こういう事を言えるんでしょうね。
    だいぶ前だけど、爆問学問で、東大の、目が見えない、耳が聞こえないって教授が出てたけど、面白かったなぁ。

  2. 月影 より:

    こんなこと、よくいってるんですか。強い人とはいいますが、そんなに心が強い人って本当にいるだろうかと思います。平然を装いつつも、ここまで有名になると批判も多そうだし、相当程度堪えてると思いますけどね。
    爆問のは私もみました。何も見えない、聞こえないという場合、言葉で攻撃されてもわからないので、そのへんの問題は少なそうだけど、何もなくてもいろいろいわれているかもしれないという被害妄想に陥りやすいという問題はありそうな気がしますね。

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