良いお年を

毎年、年の瀬に交わされる挨拶、「良いお年を」。
「どうぞ良いお年をお迎えください」の略だというのだけど、
その「良いお年」というのは「迎える」という以上は来年のこと
なんですよね。
でも、来年がどんな年になるのかなんてわかりようもなく、
人が能動的にどうにかできるものでもないのに、
どうやって来年を「良いお年」にできるのだろうなぁ?
なんて微妙に疑問に感じつつ過ごすこの時期であります。
聞くところによると、残った今年を何とかやり過ごして
無事に来年を迎えられますように、という意味でもあるらしい。
とするなら、大晦日その日になって交わす挨拶としては
若干遅過ぎ(もう来年を迎えられるのはほぼ確実)ですね。
まぁ、この手の挨拶は、その意味とかあんまり気にせず
そういうものだと思ってするものなんでしょう。
今年を振り返って、さて私は何をしたかというと
えーと、うーん、相変わらず何もしてないなぁ。
仕事、ゲーム、仕事、ゲーム、仕事、ゲーム………。
そういえば、今年は仕事がない期間が3ヶ月ありました。
仕事がなければいろいろできそうだったんだけど、
結局その期間も仕事探しと、待ち時間にはゲームしか。
ただ、仕事しない期間がこれだけあったというのは
社会人になって初めてのことでした。
それで思ったのは、何もしない期間ってのも
人間にとって必要なものなのかもしれないな、ということ。
純粋に生物としての休息期間が必要、という意味ですが
普通に体調がすごく良かったんです。その期間。
朝の目覚めも良いし、通じもすこぶる良いし、
食欲も旺盛だし、気分はもう10年くらい若返った感じ。
それが仕事が始まると、いろいろダルくなったり、
疲れやすくなったり、不調が出てくるようになってくる。
これは、仕事するというだけで、そういう意識はなくても
心身に相当のストレスがかかるってことなんだろうなと。
人間は、社会的な生物の生き方として
何らかの職について日々その役割(仕事)をこなして過ごす
というのは否定されるものじゃなく、むしろ義務なわけだけど、
それは必ずしも生物として是ではないんでしょう。
大抵、人は社会に出てから定年まで働き通しです。
特に日本人は働き過ぎなのかも。
人は、自らの仕事を減らして生活をより楽にするために
社会の機械化やIT化をずっと進めてきたわけだから、
単純に考えれば物理的に人間の仕事は減ってるはず。
なのに、ずっと同様の仕事量が想定されている社会
というのは、何か不合理な気もするんですよね。
むしろ、人が仕事するためにわざわざ仕事つくってるし。
仕事がない仕事がないと嘆いている今の世の中、
どこか、何かが根本的に違ってるような気もするし、
反面、人間とはそういう生き物なんだって気もするし。
これからは、ビジネスよりもエンターテインメントの方が
市場として開けてくるのは必然なのかもしんない。
そんなことを考えた2010年、大晦日。
皆様、良いお年を。

コメント

  1. はる より:

    「Have a nice day!」ウィッキーさんの挨拶に違和感を覚えたけど、日本人にもこういう挨拶あったんだねえ
    今年もよろしく!!

  2. 月影 より:

    ちなみに、「Happy New Year」≒「明けましておめでとう」で「A Happy New Year」≒「良いお年を」になるらしいです(A がつくと I wish you a Happy New Year の略式になるんだとか)。
    こちらこそ、本年もよろしくです。

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