七夕に思う

今日は七夕…といいつつ、
会社と家の往復のみで、
全然七夕を感じず1日を終えてしまった月影です。
こんばんは。
七夕といえば、アレですね。
笹を庭にぶっ挿して、
そこに夢と欲望を書き殴った短冊を、
これでもかってぶら下げて、
あとは何の努力もせず神頼みという、
まぁ、そんな日です(違)
カレンダーの上でしか季節を感じられなくなった昨今、
七夕だといわれてもピンと来ないのが寂しい限り。
もうちょっと心に余裕を持たないとだめですね。
何をするにしても、
多分そればっかりになってはダメで、
仕事は仕事、プライベートはプライベートで、
バランスよくメンタル配分するのが良い。
どっちかに偏りすぎてはいかんということなんです。
余裕を持つ…ということは、
ある無駄をもたせる、遊びをつくる、ということでも、
その目的は達成できますよね。
無駄というのは、実は無駄じゃないんです。
七夕の話をするならば。
短冊を笹にくくるとき、
最近は出来合いの紐っぽいもので結んでますよね。
ひどいときはビニールヒモとかでぶら下げてます。
あれ、昔は「こより」という、
半紙を縒って細長くしたものでくくってたんですよ。
私が小学生の頃に学校でやってた七夕祭りでは、
みんなでそのこよりからつくってたんですが、
これが小学生のつくるソレなので、
やたら太くなったり、細すぎて切れそうだったり、
ボロボロで紐の役をなさなかったりと、
それだけでも個性が出ていて面白かった…。
市販の紙紐を買ってくればそんな苦労はないわけですが、
そういう無駄をつくるのも必要だと思うのですよ。
みんな合理化しすぎてないかと。
あんまり追求しすぎると、
それこそ余裕がなくなって心も押しつぶされてしまう気が。
無駄がいいんです。
祭りなんてのも、そもそも無駄です。
でも、祭りは楽しい。
無駄無駄無駄無駄ァァ!
いや、とりあえず、
もうちょっと気楽に生きましょうということです。
みんな自分を追い詰めすぎてませんか。

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